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前ページ次ページ憂鬱版BLACK LAGOON 91 :名無しさん:2012/02/16(木) 21 22 58 というわけで妄想してきたぞ! ※憂鬱版BLACK LAGOON 運が悪い、というレベルの話ではない。 殴られた鼻から伝い落ちる生暖かい血を感じながら、岡島緑郎は自らの現状を前に頭を抱えたくなった。 だが、もちろんそんな下手な真似をすれば、即座に頭の風通しがよくなることは確実である。 「OK、カリフォルニア人。もう一度訊くぞ?」 眼前に突きつけられた二挺の拳銃から発射される鉛弾によって、だ。 岡島緑郎は旭日重工資材部北米課に籍を置く、旭日重工の一社員である。 そんな彼に急遽出張の要請が舞い込んだのは、数日前の話だ。 重要な物資の運搬に付き添って欲しい。上司は口数少なく、そう告げた。 もちろん平社員である岡島が断れるはずもなく、彼は書類が翌日には機上の人となる。 こうしてカリフォルニア共和国ロサンゼルス支社へと着いた岡島は、休む間もなくロサンゼルス港で物資を積んだ貨物船に乗せられた。 そうして気がつけば、彼はパナマ運河を越えてカリブ海へと至っていた。 遥かな昔は名立たる海賊が巣食っていた海域。 だが欧州列強が一帯を抑えた今となっては海賊が横行できるはずもなく、綺麗で安全な海となっている。 ――― そうであるはずだった。 ジャマイカ海峡に差し掛かった時の出来事である。 彼の乗る貨物船に、一心不乱に突っ込んでくる小型艇の姿が見えたのは。 接近してきた小型艇は慣れた操船で貨物船の右舷につけるや否や、鉤付きロープを貨物船に撃ち込んできた。 そしてそこから乗り込んできた招かれざる二名の船客――黒人の大男と、アジア系の女性――に、岡島は現在進行形で脅されていた。 「こいつがマイアミで取引先に渡せと命じられたデータディスク、で間違いないな?」 ごつい回転式拳銃を突きつけながら、ガタイのいい黒人の大男が小さなデータディスクを岡島に見せ付ける。 それはロサンゼルス支社で取引先に渡すように、と書類鞄と共に押し付けられたデータディスク。 どうやらこれが岡島を現状に追い込んだ疫病神であるらしかった。 「面倒くせえ。ダッチ、膝の辺り撃っちまってもいいだろ?」 「逸るな、レヴィ。壊れたラジオみたいになられても困るんだ」 大男と並んで岡島に自動式拳銃を突きつけているアジア系の女性が、見た目に似合わぬ末恐ろしいことを口にする。 しかし、黒人の大男はこれまた見た目に反して、彼女を諌めた。 襲撃者達の間で交わされているのは、流暢な英国英語だ。 旧米国英語に比べて上品だと小耳に挟んでいた岡島だが、生憎実際に聞いた会話に上品さは欠片もなかった。 『ダッチ。ヘイ、ダッチ。そろそろ片付かないかい?』 その時、大男の携帯無線機が鳴る。大男は応じるように無線機を耳元に持っていく。 漏れ聞こえた限りでは、英海軍の哨戒艇がこの船に迫っているようだ。 頼むから自棄には走らないでくれ、と岡島は心の中で仏から八百万の神まで節操なく祈った。 92 :名無しさん:2012/02/16(木) 21 23 35 「聞け、ジェントルメン! 俺達は退散する! あんたらは自由になる! ただし俺達を追いかけてきた場合は保証しないぞ!」 彼の願いが通じたのか、大男は拳銃を掲げながら甲板上に並べられていた貨物船の乗組員達にそう告げた。 無事とは言い難いが、命は助かるらしい。岡島は小さく安堵の溜め息を吐く。 「おい、何を安心してんだ?」 刹那、岡島の頬に冷たい金属が押し付けられる。銃口であった。 目を恐る恐る横に動かすと、銃口並の冷ややかな視線をこちらに向けるアジア系の女性。 「アンタは一緒に来るんだよ」 「じょ、冗談だろ?」 あれよあれよという間に貨物船の広い甲板から、小型艇の狭い甲板に移動を強いられる岡島。 大男と女性もそれに続き、小型艇に乗り込む。 すると小型艇は発動機の回転を高め、貨物船からするすると離れ始めた。 「冗談だろおおおおおおおおおお!?」 そしてみるみる遠ざかる貨物船の船影に、岡島が悲鳴のような絶叫を上げる。 「五月蝿いぞ、カリフォルニア人。口の中に銃口押し込んで塞いでやろうか?」 「さっきからカリフォルニア人カリフォルニア人って、俺は日本人だ!」 「あん? あの日本人のケツ舐めてるからって、日本人を気取るなよ。大方、ただの日系人だろ?」 「違う! このパスポートを見てみろ!」 岡島の抗議を鼻で笑うアジア系の女性。 その鼻っ面に精一杯の意地を込めて、岡島は大日本帝国の文字が標されたパスポートを突き出す。 そんな岡島を面倒くさそうな目で眺めつつ、女性はパスポートを受け取る。 彼女は戯言に付き合ってると言わんばかりの調子でパスポートを開き、載っている写真と岡島を見比べ――凍りつく。 「は?」 「正真正銘、大日本帝国正規のパスポートだよ。こん畜生」 岡島の言葉に女性は静かにパスポートを閉じ、表紙の大日本帝国の文字を凝視。 続いて、もう一度パスポート開き、載っている写真と岡島の顔を見比べる。 無論、何度見返しても変わりはない。 「……へーい、ダッチ」 何処か諦観したような顔つきで、女性はインカムのスイッチを入れた。 『どうした、レヴィ?』 「あたしら〝ヤマト〟に吹き飛ばされるかもしれない」 『はぁ?』 (続け) 前ページ次ページ憂鬱版BLACK LAGOON
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軍人勅諭(ぐんじんちょくゆ)は、Template 和暦?1月4日に明治天皇が陸海軍の軍人に下賜した勅諭である。正式には『陸海軍軍人に賜はりたる勅諭』という。 沿革 西周が起草、福地源一郎・井上毅・山縣有朋によって加筆修正されたとされる。下賜当時、西南戦争・竹橋事件・自由民権運動などの社会情勢により、設立間もない軍部に動揺が広がっていたため、これを抑え、精神的支柱を確立する意図で起草されたものされ、1878年(明治11年)10月に陸軍卿山縣有朋が全陸軍将兵に印刷配布した軍人訓誡が元になっている。 Template 和暦?6月19日、教育勅語などと共に、衆議院の「教育勅語等排除に関する決議」および参議院の「教育勅語等の失効確認に関する決議」によって、その失効が確認された。 内容 通常の勅語が漢文調であるのに対し、変体仮名交じりの文語体で、総字数2700字におよぶ長文であるが、軍人は暗誦できることが求められた。特に陸軍では、将兵は全文暗誦できることが当然とされた。しかし、海軍では「御勅諭の精神を覚えておけばよい。御勅諭全文より諸令則等を覚えよ」とされることが多く、全文暗誦を求められることは多くなかった。 内容は、前文で天皇が統帥権を保持することを示し、続けて、軍人に忠節・礼儀・武勇・信義・質素の5つの徳目を説いた主文、これらを誠心をもって遵守実行するよう命じた後文から成る。 特に「忠節」の項において、軍人の政治への不関与を命じるが、大日本帝国憲法に先行して天皇から与えられた「勅諭」であることから、陸軍(および海軍の一部)は軍人勅諭を政府や議会に対する自らの独立性を担保するものと位置づけていた。海軍においては政治への不関与を命じたものと位置づけるのが主流であったが、政党政治に終局をもたらせた暗殺テロ、五・一五事件に代表される急進派も存在した。一方で“義は山嶽より重く死は鴻毛より軽しと心得よ”と天皇のために命を捨てることを命じていた(戦陣訓、戦陣訓を参照)。 なお、資料によってはこの勅諭の末尾に「御名御璽」と表記しているものがあるが、この勅諭は明治天皇の署名(印刷物等に表記する場合は「御名」)のみで御璽を捺さずに陸海軍に直接下賜する形式を採った(軍内部には「明治15年陸軍省達乙第2号」として陸軍大臣から布達された)ため、印刷物の場合は「御名」のみ表記されるのが正確である。 関連項目 Template Wikisource? 西周 (啓蒙家) 大日本帝国憲法 戦陣訓 教育勅語 「教育勅語等排除に関する決議」と「教育勅語等の失効確認に関する決議」 軍人読法 外部リンク 現代語訳『軍人勅諭』 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月3日 (月) 03 56。
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選択肢 投票 自由労働党 (17) 国民労働党 (21) 大日本帝国自民共産労働党 (0) 日本民主主義労働者党 (2) 労働党age (0) 保守労働党 (5) 保守国民党 (2) 大衆党 (0) プロレタリアート党 (0) 無産大衆党 (1) 日本サラリーマン新党 (0) 2ch党 (1) 日本・経済共同体党 (1) 追加・ご意見ありましたら記入願います。 ぜひ加入させていただきたく思います。 -- 札幌市民 (2006-12-09 18 26 27) 区切りの点、必須。日本という国が国益を守りつつ、経済を軸としたひとつの共同体として発展していける…そんな未来を目指せたらいいなと思いました。どこかで聞いたような気がする名前だってのは、気のせいです。…たぶん。機能する -- 日本・経済共同体党 (2006-12-10 23 51 50) 名前に党名書いて投票…ではなかったのですね。すみません。『日本・経済共同体党』を追加していただけると嬉しいです。よろしく。 -- 愛知拳 (2006-12-10 23 56 04) 行き過ぎたグローバル化への対抗と国民経済の保護、全ての世代への平等な労働機会のための古い労働慣習の打破、労使協調の労働政策など、現在の連合中心の大企業正社員のための労働運動を打破すべきです! -- 赤鬼 (2010-06-24 20 00 27) (削除) 名前 コメント
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第二次安倍政権 ■ 北朝鮮並みの独裁体制を目指す安倍政権 「陽光堂主人の読書日記(2013.10.26)」より (※ 前略、詳細はブログ記事で) / 安倍政権は、米国隷従体制をより強化しようとしているわけで、世界の動きと逆行しています。外国人の目には、「不可解な日本人」が落ち目の米国と心中しようとしていると映っていることでしょう。 中国では政府批判をした記者が当局に拘束されて大きな問題なっていますが、日本も同様の事態に立ち至るのは時間の問題です。こう言うと、中国嫌いの人たちが直ぐに反応して、「日本よりあの中国の方がマシだって言うのか」と噛み付いてきますが、現状を見ればそうなりつつあることは明らかです。 下手をすると、北朝鮮並みの酷い国になる恐れがあります。北朝鮮は大日本帝国の残置諜者が創った国と言われていますから、同じ体制となっても何の不思議もありませんが…。 .
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竜の電脳 ヒュウガ VR 水 (5) クリーチャー:リキッド・ピープル/竜の一族 4000 ■G・ゼロ−バトルゾーンに自分のコスト4以上の水のドラゴンが1体でもあれば、このクリーチャーをコストを支払わずに召喚してもよい。 ■このクリーチャーがバトルゾーンに出た時、カードを2枚まで引く。 作者:翠猫 DMAE-13「激爆誕!ギガフレア!」収録。リキッド・ピープルの竜の一族。 コスト5パワー4000。自分のコスト4以上の水のドラゴンを対象としたG・ゼロを持っており、登場時にカードを2枚まで引ける。 名前は大日本帝国海軍の伊勢型戦艦の2番艦「日向」から。 収録エキスパンション DMAE-13「激爆誕!ギガフレア!」 関連(ドラゴンに関連した効果を持つVRサイクル) 《》 《竜の電脳 ヒュウガ》 《》 《竜の勇騎 ギョクト》 《》 評価 名前 コメント
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軍閥(ぐんばつ)とは多義的な用語であり、一つの定義に規定するのは不可能であるが、主なものについて挙げる。 国家における単一の近代的軍事組織が軍事を独占した状態になっている国家において、その官僚組織としての軍部内部における派閥のこと。特に旧日本軍内における派閥のことを言う。 軍事力を背景に地方に割拠する(国際的に承認・未承認を問わず、ある程度の実効支配地域を持つ)組織・集団のこと。 軍部内部における派閥 旧・大日本帝国陸軍における皇道派・統制派、旧・大日本帝国海軍における艦隊派・条約派などが挙げられる。しかし、軍部内における派閥は日本軍に限らずどこの軍隊にもありえるが、「軍閥」という名称では呼ばれない場合も多い。例えば、韓国軍における秘密組織であった「一心会」(ハナフェ)、やはり秘密組織である旧エジプト王国軍の自由将校団(ナセルなどが在籍)などは、その政治的野心も強かったものの、一般に「軍閥」とは呼ばれない。 軍事力を背景に地方に割拠する組織・集団 辛亥革命前後の中国のものが典型。例えば、辛亥革命前の代表的な軍閥領袖として李鴻章があげられる。李鴻章が私財を投じて兵を募り集め、訓練・組織化した軍閥は時の政府(清)に従順であったが、領袖の跡を袁世凱が継承してからは、次第に軍閥組織の利(ひいては軍閥領袖の意)を最優先として動く様になる(やがて孫文と裏交渉し、清政府に反目、やがては打倒勢力の中核となる)。呉佩孚、張作霖らは衝突や和解を繰り返しながら覇権を競い合った。しかし、中国国民党の北伐戦争で軍閥は打撃を受け、対日戦争や国共内戦で中国国内の状況が変わると国民党軍や中国共産党軍に編入され力を失った。 前近代の主権国家が成立する前の世界において、国家の政治体制は個々に軍事力を有した団体、あるいは地方政権の集合体であったものが多く、「国家」が後者の意味での軍閥の連合体の様相を呈することは常態であった。また、そうした場合、中央政府とはしばしば国家の全体に影響を及ぼしうる軍事集団そのものであり、これは前者の意味での軍閥に近いものであった。国民国家というのはかかる前近代を経て近代になって始めて成立した概念であり、そこから愛国心等も生まれていった。愛国心という概念は近代の産物に過ぎないのである。この意味では、日本の中世初期の武士団や中世後期の戦国大名の領国組織も、軍閥の定義には当てはまる。 近代の主権国家においては軍事力は国家の中央政府のもとに一元化されるべきものであり、また中央政府に一元化された軍事力はそれ自体が政府機関を運営する主権者ではなく、国家の主権者の命令に服するものでなくてはならない。つまり近代社会において軍閥が云々されるとは近代国家たるべき要件となる軍事力の一元化と、主権者への服従が達成されていない状態が継続していると考えてよい。 この意味での軍閥に近いものとしては、ソマリアの武装勢力や、民主カンプチア政権崩壊後のポル・ポト派、アフガニスタンの北部同盟、ムジャーヒディーン残党などが上げられる。 関連項目 世界の軍閥一覧 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_ 2008年10月24日 (金) 13 15。
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支那事変(しなじへん)は、日中戦争の呼称として、大日本帝国政府が定めた公称昭和12年9月2日閣議決定、事変呼称ニ関スル件「今回ノ事変ハ之ヲ支那事変ト称ス」である。 当項目では「支那事変」という呼称に関する問題について述べる。Template main2? 概要 事変は、昭和12年(1937年)7月の盧溝橋事件を発端として北支(北支那、現中国の華北地方)周辺へと拡大し、部隊衝突は8月の第二次上海事変勃発により中支(中支那)へ飛び火、やがて中国大陸全土へと飛散して行き、大日本帝国と中華民国とは次第に戦争の様相を呈していった。しかし昭和16年(1941年)12月までの間は、双方が宣戦布告や最後通牒を行わず、戦争という体裁を望まなかった。戦争が開始された場合、第三国には戦時国際法上の中立義務が生じ、交戦国に対する軍事的支援は、これに反する敵対行動となるためである。国際的孤立を避けたい日本側にとっても、外国の支援なしに戦闘を継続できない蒋介石側にとっても不利とされたのである。双方ともに戦争の意志はなく、事実、外交関係が維持継続されていた事からも明白である。 特に中国にとっては、アメリカ合衆国で中立法の適用を避けたいことも大きい。中立法は1935年(昭和10年)に制定された法律で、外国間が戦争状態にあるとき若しくは内乱が重大化した場合に、交戦国や内乱国への武器および軍需物資の輸出を禁止するものであった。当時、米国は日本へこの中立法の適用を検討したが、中国が多量の武器を米国から輸入していた事もあって発動は見送られた。 しかし、長期化と共に米英は援蒋ルートなどを通じて重慶国民政府(蒋介石政権)を公然と支援。日本は和平、防共、建国を唱える汪兆銘を支援し南京国民政府(汪兆銘政権)を承認した。昭和16年(1941年)12月8日の日米開戦とともに蒋介石政権は9日、日本に宣戦布告し、日中間は正式に戦争へ突入していった。同12日、日本政府は「今次ノ対米英戦争及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルヘキ戦争ハ支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称ス」昭和16年12月12日閣議決定 今次戦争ノ呼称並ニ平戦時ノ分界時期等ニ付テと決定した。 日本では初め北支事変(ほくしじへん)、後には支那事変(しなじへん)の呼称を用いた。新聞等マスコミでは日華事変(にっかじへん)などの表現が使われる場合もあった。他に日支事変とも呼ばれる。 戦後は昭和12年(1937年)7月以降を含めて「日中戦争」と呼ぶ呼称が広まった。これは「事変」といいながら事実上の戦争であるとの指摘、さらに主としてマスコミが「支那」「大東亜戦争」という言葉の使用を避けた為である。ただし防衛庁防衛研究所戦史室や厚生労働省援護局、準公式戦史である『戦史叢書』、靖国神社や各県の護国神社では公式な「支那事変」の呼称を使用している。 脚註 外部リンク 事変呼称ニ関スル件 | 国立国会図書館-National Diet Library 関連項目 ABCD包囲陣 大東亜戦争 太平洋戦争 十五年戦争 アジア・太平洋戦争 極東戦争 日本における検閲 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年8月18日 (月) 02 06。
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560: 弥次郎 :2017/04/23(日) 00 33 14 大日本企業連合が史実世界にログインしたようです「蝶が羽ばたき、嵐が巻き起こる」3 -ドゥーチェは思考する- ベニート・ムッソリーニという人物は、現代において、割と評価を受ける人物であった。 スターリンさえ認めた共産「趣味」者でありながらも、イタリア王国の忠実な頭領として地位を確保し、事実幅広い教養を納め、ローマ進軍を成し遂げた軍人でもあり、ローマ教皇とも政治的に渡り合い、イタリア人らしく恋愛にも情熱的であった。 無論、無神論者で度々ローマ教皇と対立し、差別的な言動がある程度見受けられるなど、問題もあった。 しかし、現在においてもヒトラーに対するドイツ人のような極端なタブー視などは見受けられず、出身地であるプレダッピオには記念碑があって献花が続いているという状況を鑑みれば、彼が唾棄すべき独裁を敷いて、イタリアに甚大なダメージを与えたというのではないと言えるかもしれない。 さて、昨今の、西暦1936年2月26日に極東の島国 日本列島において発生したカウンタークーデターと、その後の大日本企業連合の蜂起と大日本帝国の支配の確立は、遠く離れた地中海へもその報が届けられていた。 報告については正直、信じられるものとは言い難かった。人型の機械に、巨大な艦隊に、「企業」の支配。 さしものムッソリーニも、そして彼の部下たちも俄かには信じられなかった。中には警戒を強めていた部下もいた。 「そうさ、日企連は別に変な組織ではないのだよ」 しかし、情報が集まるにつれて、彼の警戒は徐々にほぐれた。 鼻歌さえ歌う彼は、しかし冷静な目で日企連に関する資料を読みふけっていた。 社会趣味者としての視点。それは日企連の本質を見抜く一助となっていた。 社会主義的な資本主義・思想に基づいて連携し合い、社会福祉 社会利益を追求する企業連合 それが、彼の結論だった。 イタリア・ファシズムの実行というのは政党と政府の管理下で財界・財閥・労働者が一体となって統制経済の実践によって行われた。 細かいところは少々省くのだが、結論だけを言えば現在の日企連の支配体制と驚くほどに似ている。 主権者の天皇の権限を多く認めているところが違うのだが、そんなものは枝葉末節。 要するに日企連というのは自分の体系化した狭義の「ファシズム」の実践例として注目できる。 まるで、お手本のようですらある。形ばかりを真似たドイツの伍長とは全く違う。 はっきり言おう。ムッソリーニは日企連の一連の行動と発表した政策に脱帽した。 もっとも、それを実践できるかという点についてはまだそこまで信頼してはいない。そこは調査が必要だ。 手放しでほめるレベルではない。今のところ、イタリアに入ってきている情報だけでは何とも言えない。 ついでに言えばムッソリーニはあまり日本の制度については詳しいとは言えない。 だが、天皇、イタリアで言えば国王を擁立していることくらいは知っていた。 そして駐イタリア大日本帝国大使館の日本人とのやり取りを通じて、それが権力基盤や権力の担保となることを確信した。 これまでの日本の天皇は権力者が支配の正当性を担保するものであったが実質的にはそこまで権限を有しているわけではない。 「まずは今回のオリンピック査察、いや、それ以外でもっと積極的に動くべきかな? シモイの伝手が使えるはずであるし、もっとアプローチをすべきか……」 既に駐日大使には指示を飛ばしてある。情報収集だ。 警戒は必要。しかし、それと同じだけの期待値はある。 彼らと自分が見ているものは全然違うのだろうという予感があるが、それは枝葉末節。 彼の言うシモイ、下井春吉は、一言で言うなればイタリアに惚れこんだ 一言でいうならば、イタリアに惚れこんだ教育者・文化人である。昭和の日本にイタリアを紹介したとも言えるかもしれない。 他ならぬ彼こそが、詳細な情報をイタリアへと提供してくれるソースとなったのである。 「ともあれ、我々として彼らの動きに注視することに変わりはない」 彼らが一体どう動くのか。 資本主義の走狗たる企業とは名ばかりの、社会主義的な行動理念の彼らが、一体どのように世界をかき乱すのか。 支配階級が率先して社会的な平等を推し進めるというのは一体どういう理由からそう動いたのか。 彼の思考は、急速に回転を増していった。 「ドゥーチェ、アジアのこともいいですけど、エチオピアのことも考えてください」 そんなムッソリーニに、イタリアに帰国していたピエトロ・バドリオの部下の一人が呆れて声をかけたのも無理もないことであったが。 561: 弥次郎 :2017/04/23(日) 00 33 47 以上。wiki転載はご自由に。 ようやく書けた…… アシハラナカツクニの構造なんて大真面目に考えると頭がぐわんぐわんしますよ。 SFチックに、しかし、ロマンと理屈を付け加えるって面倒ですね。 この後、下井春吉さんはアシハラナカツクニで晩餐会に招待され、色々と吐く羽目になりました まあ、彼も有名人ですからね。日企連が察知できないわけではないんですよ。 日企連にしてもうまくやれば地中海の物産をゲットですから。 619: 弥次郎 :2017/04/25(火) 21 13 42 ham氏 調べてみたら、パドリオってこの時期(恐らく)エチオピアにいますね(汗 どうしたものか…やはりアメーの方が良いかな…? 急遽戻るのも無理か… 560のところ ×ピエトロ・バドリオに 〇イタリアに帰国していたピエトロ・バドリオの部下の一人に 訂正お願いします 訂正
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朝鮮軍人(ちょうせんぐんじん)とは、Template 和暦?4月1日からTemplate 和暦?までの間、「朝鮮軍人ニ関スル件」(明治44年勅令第36号)により、大日本帝国陸軍に置かれた軍人の分類である。 日韓併合により、大日本帝国陸軍に編入された旧大韓帝国軍人に与えられた身分の総称が「朝鮮軍人」であり、朝鮮が日本領となった以降に帝国陸軍に入隊した朝鮮人を指す呼称ではない。 概要 Template 和暦?に日本と韓国との間で締結された第三次日韓協約により、大部分が解散していた大韓帝国軍であったが、Template 和暦?の日韓併合時にも、なお相当数の在職中の韓国軍人が存在していた。これらの朝鮮総督府設置の際に身分を有していた旧韓国軍人は日本の一般の陸軍軍人に準じた扱いがされ、在職中の者は駐箚軍司令部附又は駐箚憲兵司令部附とされた(「旧韓国軍人ニ関スル件」(明治43年勅令第323号))。もっとも、「旧韓国軍人ニ関スル件」は暫定的な扱いを定めていたに過ぎなかったことから、翌年に「朝鮮軍人ニ関スル件」が制定され、Template 和暦?の復員庁令第3号により同令が廃止されるまで、同令に基づき「朝鮮軍人」の身分が存在した。 Template 和暦?「朝鮮軍人ヲ陸軍将校同相当官ニ任用等ニ関スル件」(大正9年勅令第118号)の制定で、朝鮮軍人のうち将校・同相当官が一般の陸軍将校・同相当官に自動的に任ぜられることとなり大正9年勅令第118号「朝鮮軍人ヲ陸軍将校同相当官ニ任用等ニ関スル件」附則、下士卒のみが朝鮮軍人ということになった。 朝鮮軍人は、朝鮮人たる陸軍軍人とは異なり、旧大韓帝国陸軍時代の階級を保有し、異なった取り扱いを受ける特別な軍人である。主に、王公族附武官・朝鮮歩兵隊・朝鮮騎兵隊などに充てられた。朝鮮人たる陸軍軍人として有名な李王垠中将や洪思翊中将などは朝鮮軍人ではなかった。 具体的な人数 1910年(明治43年)9月1日時点の朝鮮駐箚軍司令部附又は駐箚憲兵司令部附の旧韓国軍人たる将校同相当官職員は次の通りである。 元親衛府長官以下親衛府附将校朝鮮駐箚軍司令部附としては、陸軍副将1、陸軍参将2、陸軍砲兵正領1、陸軍歩兵副領2、陸軍二等軍医長1、陸軍工兵参領1、陸軍歩兵正尉1、陸軍歩兵参尉1、陸軍三等司計1。朝鮮憲兵隊司令部附としては、陸軍騎兵参領1、陸軍砲兵参領1、陸軍歩兵正尉2、陸軍砲兵正尉1、陸軍工兵副尉1、陸軍歩兵参尉1。 元侍従武官朝鮮駐箚軍司令部附として、陸軍歩兵参領1、陸軍歩兵正尉3。 元東宮武官朝鮮駐箚軍司令部附として、陸軍副将1、陸軍歩兵参領1、陸軍砲兵正尉1。 階級 朝鮮軍人 一般の陸軍軍人 将校 なし 陸軍大将 陸軍副将 陸軍中将 陸軍参将 陸軍少将 陸軍○○正領 陸軍○○大佐 陸軍○○副領 陸軍○○中佐 陸軍○○参領 陸軍○○少佐 陸軍○○正尉 陸軍○○大尉 陸軍○○副尉 陸軍○○中尉 陸軍○○参尉 陸軍○○少尉 下士 陸軍○○特務正校 陸軍○○特務曹長 陸軍○○正校 陸軍○○曹長 陸軍○○副校 陸軍○○軍曹 陸軍○○参校 陸軍○○伍長 兵卒 陸軍○○上等兵 陸軍○○上等兵 陸軍○○一等卒 陸軍○○一等卒 陸軍○○二等卒 陸軍○○二等卒 ○○には、将校は歩兵・騎兵・砲兵・工兵が、下士卒では歩兵・騎兵が入る。将校相当官等についても別途定めがある。朝鮮軍人ニ関スル件制定時の相当表。 大正9年勅令第118号により一般の陸軍将校に転じた朝鮮軍人 特に将官となった者について記す。 李秉武(陸士7期卒留学生)元大韓帝国親衛庁長官・侍従武官長を歴任し、勅令第118号により副将から中将に転じる。 趙東潤元大韓帝国侍従武官長を勤め、勅令第118号により副将から中将に転じる。 李煕斗(陸士9期留学生)勅令第118号により参将から少将に転じる。 趙性根(陸士9期卒留学生)勅令第118号により参将から少将に転じる。1928年(昭和3年)10月23日に中将に進級。 魚潭(陸士11期卒留学生)勅令第118号により歩兵正領から歩兵大佐に転じる。1922年(大正11年)9月18日に少将に進級し、1930年(昭和5年)12月22日に中将に進級。 王瑜植(陸士9期留学生)勅令第118号により一般の陸軍将校に転じる。1925年(大正14年)2月10日に少将に進級。 金応善(陸士15期卒留学生)勅令第118号により一般の陸軍将校に転じる。1931年(昭和6年)4月10日に少将に進級。 参考 日韓併合後に日本陸軍に入隊し将官となった朝鮮人 李王垠(陸士29期、陸大35期)1938年(昭和13年)7月15日に少将に進級し、1940年(昭和15年)10月26日に中将に進級。 洪思翊(陸士26期、陸大35期)日韓併合当時は陸軍士官学校の留学生であった。1941年(昭和16年)3月1日に少将に進級し、1944年(昭和19年)10月26日に中将に進級。 この他、朝鮮王公族には儀礼のための将官礼遇を受けている者がいた。 脚注 Template reflist? 関連項目 大日本帝国陸軍 大韓帝国軍 近衛兵 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年8月1日 (金) 07 11。
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917 :ハニワ一号:2014/07/07(月) 20 42 16 まえがき 夢幻会が史実戦前昭和に転生したルートです。 このSSは好都合主義や火葬戦記的な描写が入っていますがご容赦ください。 918 :ハニワ一号:2014/07/07(月) 20 42 52 戦後夢幻会ネタSS――前史「伝説の始まり」 1941年12月 アメリカ合衆国 (くそっ!忌わしい日本人どもが先手を打つ以上は我が軍の被害が出ることは覚悟していたが、まさかここまで壊滅的な被害が出るとは・・・。) 1941年12月7日(日本時間で12月8日)大日本帝国が米国に宣戦布告して始まった戦争はアメリカ合衆国第32代大統領フランクリン・ルーズベルトにとって人生最悪の日々をもたらし、ルーズベルト大統領の心身に大きな疲弊を与えていく事になった。 (忌わしいことに卑怯なだまし討ちと宣伝しようにもすでに真珠湾奇襲前に宣戦布告がなされている。だまし討ちと宣伝しても効果は薄い。しかも日本は植民地解放のための戦いと全世界に宣言している。早いところ何とかせねばならないが・・・。) ルーズベルトが何とかしようにも米太平洋艦隊は壊滅し、真珠湾は使用不能の状態に置かれていた。日本軍の真珠湾奇襲によって真珠湾は大量の重油による大火災によって焼き払われ、米戦艦部隊は壊滅、「エンタープライズ」「レキシトン」の米空母2隻が撃沈し、米空母を護衛していた艦艇も撃沈破するなどアメリカ太平洋艦隊は壊滅したのだ。それだけでなく、ドッグ入りしていた「ペンシルヴァニア」の誘爆による爆沈はドッグに大被害を与え真珠湾の機能回復を遅らせることになる。 現在、アメリカ軍は混乱の状態にあった。 命令も錯綜して出されて「サラトガ」がハワイ救援のために緊急出動し、太平洋艦隊壊滅という衝撃的な事態に西海岸防衛のために大西洋艦隊から緊急に大量の艦艇の回航命令出されることになる。 (なお、緊急出動した「サラトガ」は予測して待ち構えていた日本潜水艦部隊によって撃沈されることになる。) この真珠湾奇襲によってアメリカ海軍は大量の艦艇と人材を一気に失い、水兵不足に悩む事になりこの後の戦争の行方に大きな影響を与えることになる。 アメリカ海軍にとっての苦難は真珠湾だけに終わらず戦争の最後まで続く事になる。 919 :ハニワ一号:2014/07/07(月) 20 43 34 1941年12月 大日本帝国 「嶋田さん、南雲さんはよくやってくれましたな。真珠湾は炎上し戦艦部隊は壊滅した。それ以上に大きいのが史実では沈められなかった米空母2隻の撃沈に成功した事ですよ。」 「ええ、序盤のボーナスタイムを有効活用してこの後の戦局を有利に進める。米空母撃沈という目標が達成できてほっとしていますよ。あとはサラトガですが。米空母温存のために出動しない可能性はありますが念のために潜水艦部隊を予想される進路にはりつけています。」 大日本帝国首相と陸相、参謀総長を兼任する東條英機と海相と軍令部総長を兼任する嶋田繁太郎が会話していた。 「それにしても自分が史実東条に転生して嶋田さんと同じような立場になるとは思いませんでしたよ。」 「同じ経験者をした先輩として支えますので安心してください。東条さん。」 「ハハハ。頼りにしますよ。嶋田さん。」 嶋田や東条は史実戦前昭和に転生し史実嶋田や史実東条になっていたのだ。他の夢幻会も同様に史実の本人に転生していた。 「大蔵省の魔王」である辻政信は「作戦の神様」に華麗なジョブチェンジを果たしていた。 史実戦前昭和に転生した夢幻会は昭和初期に一気にまとまって大量に転生していれば歴史が変わった可能性もあったが戦前昭和の異なる時期にバラバラに転生したために満州事変や日中戦争を阻止することはできず、太平洋戦争に向かいつつある歴史の流れを止めることは難しかった。そのため彼らは少しでもより良い条件の元で太平洋戦争を戦い抜き「栄光ある敗北」を実現するために動き出すことになる。 前の世界ほどの規模ではないが夢幻会の動かせる範囲での資金を使っての世界恐慌などを 利用しての金儲けや苦労したが戦闘機無用論を阻止し、大和などの艦船に未来知識を取り入れた設計やノモンハンではソ連に史実以上の大打撃を与える事に成功するなど昭和日本を強化していく事になる。 そして彼ら夢幻会の努力は報われ太平洋戦争の日本軍の活躍は伝説となり、敗北続きのアメリカ海軍の能力不信とアメリカン・ボーイズをこれ以上死なせることはできないと敗北続きで心労がたまった事が原因で急死したルーズベルト大統領の後を継いで新大統領になったウォレス大統領の決断による1944年の連合軍との停戦を実現することになり、西側の共産主義の防波堤として西側に組み込まれて日本の戦後を大きく変えてゆくことになるのである・・・。 920 :ハニワ一号:2014/07/07(月) 20 44 13 あとがき というわけで夢幻会が戦前から準備したおかげで日本軍は最初から暴れまくっています。 夢幻会は他のSSのように少壮将校や若手官僚に転生ではなく憂鬱世界と同じように高位の立場を用意し準備期間も用意しました。 そのおかげで戦争序盤による「エンタープライズ」「レキシトン」そして「サラトガ」の米空母3隻の撃沈に成功するという望外の幸運に恵まれる事になります。 そして史実のミッドウェーで沈むはずだった赤城、加賀、蒼龍、飛龍の4隻の正規空母が健在でマリアナ沖海戦に参加して戦局に大きな影響を与えることになります。 時間があったらこの世界のマリアナや戦後の日本や世界情勢のSSを書いてみたいですね。